11月29日のニュースでは、皇居の「乾通り(いぬいどおり)」が秋の一般公開を迎え、国内外から多くの人が訪れた様子が報じられていました。普段は立ち入ることのできない皇居の中を歩き、紅葉で彩られた並木道を楽しむ人びとの表情が印象的でした。
フランスから来た観光客は「アメージング!」と目を輝かせ、横浜や千葉など日本各地からも、人々がこの特別な空間を味わいに訪れています。
この「乾通り一般公開」は、2014年に上皇さまの傘寿(80歳)を記念して始まり、今では春と秋の恒例行事として定着しつつあります。
今日はこのニュースをきっかけに、「皇居の一般公開」と日本国憲法が定める象徴天皇制、そして明治憲法の時代の天皇制との違いを、いっしょに考えてみましょう。
1 皇居の乾通り一般公開って、どんなイベント?
ニュースで紹介されていた乾通りは、皇居の坂下門から宮内庁庁舎の前を通り、乾門まで約750メートル続く道です。普段は入れないエリアですが、春と秋の限られた期間だけ、一般の人が通り抜けできるようになっています。
秋の公開では、モミジやカエデなど、色づいた木々が並び、皇居の石垣や櫓(やぐら)と紅葉が重なって、独特の景色を生み出します。ニュースによると、初日は国内外から2万人以上が訪れたとのことです。
この一般公開は、
- もともと上皇さまの傘寿を祝う記念行事として始まったこと
- 好評を受けて、今では春と秋の恒例行事になっていること
- 紅葉や桜など、季節の風景を通して「皇居」という空間を国民と共有する試みであること
といった特徴があります。
「皇居」というと、ふだんは遠くから眺めるだけの場所というイメージを持っている人も多いかもしれません。そこに実際に足を踏み入れ、五感で雰囲気を感じられるイベントは、「皇室」と「国民」の距離を少し縮める役割を果たしているとも言えます。
2 象徴天皇制のもとでの「開かれた皇室」
日本国憲法は、天皇についてこう定めています。
- 天皇は「日本国の象徴」であり、「日本国民統合の象徴」である(憲法1条)。
- 主権(最終的な決定権)は「国民」にあり、天皇には政治的権限はない(前文・1条・4条など)。
- 天皇の行う「国事行為」は、すべて内閣の助言と承認に基づいて行われる(3条・7条)。
つまり、天皇は「国政を動かす権力者」ではなく、国民のあいだのつながりや歴史の連続性を象徴する存在と位置づけられています。
その象徴としての役割の一つが、今回の「乾通り一般公開」のような、皇室と国民がふれあう機会です。ここには次のような意味が読み取れます。
- 皇居という空間を通じて、日本の歴史や文化に触れてもらうこと
- 「特別な場所」をあえて開くことで、「閉じた皇室」ではなく「国民とともにある皇室」というイメージを育てること
- 国内外の人に、日本の今のかたち――平和な社会と文化を体感してもらうこと
もちろん、皇居全体が自由に出入りできるわけではなく、警備や安全確保のための制限はたくさんあります。それでも、明治〜戦前のように「遠く高い」存在だった天皇・皇室が、戦後の象徴天皇制のもとで、少しずつ「国民の身近な場」に顔を出すようになったのは大きな変化です。
3 明治憲法下の天皇制との大きな違い
ここで、あえて明治憲法(大日本帝国憲法)の時代と比べてみましょう。
明治憲法のもとでは、条文上、天皇は「統治権の総攬者(そうらんしゃ)」とされ、立法・行政・軍事など、国の最終的な権限を一手に握る存在とされていました。また、
- 天皇は「神聖にして侵すべからず」とされ、批判やチェックの対象になりにくかったこと
- 国民は「臣民」と呼ばれ、権利は「天皇の恩恵」として与えられていたこと
こうした点から見ると、明治憲法下の天皇は強大な政治的権威を持つ国家の元首として位置づけられていたと言えます。
しかし、実際の運用はさらに厄介でした。昭和天皇自身は、イギリスのような「君臨すれども統治せず」のスタイルを理想とし、日常の政治判断には深く踏み込まない姿勢をとろうとしたとされます。一方で、政府やとくに軍部は、
- 「統帥権は天皇に属する。これは陛下のご意思だ」
- 「軍事は天皇の専権だから、内閣や議会は口出しできない」
といったロジックで、天皇の名前と権威を自分たちの政治的判断の“盾”として利用しました。
つまり、
- 表向き:天皇はできるだけ政治から距離を置こうとする(君臨すれども統治せず)
- 裏側:軍部などが「陛下のご意思」を掲げて、自分たちの政策を正当化し、暴走していく
という、非常に危うい構図ができあがっていたのです。その結果、責任の所在はあいまいになり、誰もブレーキをかけられないまま戦争へ突き進んでしまいました。
戦後の日本国憲法は、まさにこの点を深く反省しました。その反省から、
- 天皇は「日本国および日本国民統合の象徴」として位置づけること
- 天皇には国政に関する権能を一切持たせないこと
- 政治の責任は、選挙で選ばれた国民の代表(国会・内閣)が負うこと
が、はっきりと定められたのです。
もし、いまも明治憲法のような体制が続いていたら――皇居は、今よりもっと「近づきがたい権力の象徴」であり続けていたかもしれません。紅葉を楽しむために、国内外の観光客が気軽に訪れる、という姿は想像しにくいですよね。
だからこそ、乾通りの一般公開は、単なる観光イベントではなく、「明治憲法下の反省にもとづいてつくられた国民主権と象徴天皇制のもとで、皇室がどうあるべきか」を映し出す一場面として見ることができるのです。
4 紅葉のニュースから見える、憲法の「現在地」
紅葉を楽しむ人の笑顔、外国人観光客の「アメージング!」という声――こうしたニュースは、一見すると「のどかな話題」に見えます。
でも、その背景には、
- 天皇が政治権力を握っていた時代からの大きな転換
- 戦争と敗戦を経て、「国民主権」「基本的人権の尊重」という原則に立ち返った歴史
- その上に成り立つ象徴天皇制と、「開かれた皇室」を模索する現在進行形の試み
が横たわっています。
皇居の「乾通り一般公開」は、そうした歴史をふまえて初めて可能になった光景ともいえます。
憲法は、教科書の中だけにあるわけではありません。
私たちが何気なく目にするニュース、行ってみたいと思う場所、そこで感じる空気の中にも、憲法がかたちにした「この国のあり方」が、静かに息づいています。
5 まとめ――「開かれた皇居」は、国民主権のあかしでもある
皇居の乾通り一般公開は、紅葉を楽しむイベントであると同時に、象徴天皇制のもとで「皇室と国民の距離」をどう保つかを考えるきっかけにもなります。
明治憲法の時代、天皇は強い政治権力を持ち、国民は「臣民」とされていました。
日本国憲法はそこから大きく舵を切り、主権を国民に取り戻し、天皇を「象徴」と位置づけました。
その結果として、今、私たちは皇居の一部に足を踏み入れ、歴史と自然の美しさを味わうことができます。
そこには、「権力の中心としての宮城」ではなく、「国民とともにある象徴としての皇居」という新しい姿が表れています。
ニュースの一コマから、そんな憲法の「現在地」も、少し意識してみたいですね。
明日も、最新のニュースを素材に憲法の視点で読み解きます。暮らしに引き寄せて一緒に考えていきましょう。